後期を終えて

早いもので、先週で後期が終了しました。今後は生徒を集めて一斉に授業をするという形の授業はなく(教えるべきことはすべて教えましたので)、生徒の志望校の難度や問題傾向に合わせて個別的に対応していく形になります。

生徒たちの方はというと、11月は実力テストや面談、模試などが重なり、いよいよ受験本番が近づいてきたという空気をひしひしと感じていたようです。

 

試験の本番が近づいてくると、当然と言えば当然なのですが、本番までにできる勉強の量がどんどん限られてきます。

それを実感した生徒からは、「この学習の出来具合では、この少ない残り時間で受験には間に合わないのではないか・・・」という不安の声がちらほらと聞こえてきたことでした。

残り時間が少ない、という不安については(もちろん受験生の心情としては共感できますが)、今までの学習にしっかりと取り組んできた生徒が心配することはありません。

が、しかしその不安はそれとして、そのような不安のタネとなる「残り時間が少ない=できることが限られる」ということは、実は決して悪いことばかりではなく、むしろ、できることが狭まっているからこそ、「本当に必要なことは何なのか」ということを考えさせてくれる、という特有の”効用”があるのです。

 

 

GHSのこれまでの生徒も、例えば物理の実力がこの時期からぐんと伸びてくる例は多く、あるいは共通テストが終わってから実力がぐんとつく、という例もたくさんあります(私の例で恐縮ですが、受験生時代の私が物理が本当に「わかった」という感じを得て、実力がぐんと伸びてきたのもまさにこの時期です)。

 

そのぐんとできるようになるときの「ぐん」の中身は何でしょう。

卒業していったいろいろな生徒に話を聞いてみたところの大筋を、一人の生徒(物理選択者)を代表例として述べてみます。

 

 

・・・その生徒はこの時期、多くの受験生の例に漏れず、物理の過去問にチャレンジしていきました。

しかし皆さんもご存じのように、過去問というのは、それがたとえただ一教科、一校の過去問であったとしても、一冊分をすべてやり切るには相当なボリュームがあります。

例えば私立医学部を受験する・・・ということになりますと、それら何校もの過去問をすべて・・・ということはどう考えても到底無理な話です。

 

そこでその人は、過去問を片っ端からやみくもに解く、ということはせずに、

また、過去問を解く学校を絞る・・・ということをする前に、

これらの過去問で問われている内容を吟味し、「この中で学ばなくてはいけない本質は何だろう」ということを考え直していったそうです。

 

ここが伸びた人と伸びなかった人の分かれ道でした。

そうして問題で何が問われているのかと考えていったとき、その人は物理の問題で「知らない知識」に基づいて問われている問題はただの一問もないということを改めて発見したといいます。

そこで、今までの学習を振り返り、「自分が今まで何を学んできたのかどんな法則を習ってきたか」の一覧を紙に書き出してみたそうです。

 

すると、物理で身につける法則の少なさ(詳しくはHPで公開中の「体系物理読本」を参照してください)、が「たったの十数個しかない!」ということが、(もちろん頭ではわかっていたのですが)心の底からはっきりと実感できたそうです。

そしてここから物理の体系性、全ての問題はごく少数の本質的な事柄から派生した枝葉に過ぎないということ(GHSが常に発信していること)がすっきりと見えてきて、靄が晴れるようにくっきりと鮮明に描けてきたと語ってくれました。

それにより、「自分で発見し直した」このごく少数の本質をしっかりと使いこなせるようにするためだけに過去問演習をしているのだ、ということがはっきりと自覚でき、理解度が「ぐん」と上がり、また過去問の解ける割合も上がっていきました。

 

 

私が思うに・・・このエピソードの核心は、

今までは、先生の授業を聞いて理解するということがメインであった時期であり、授業で教えられる大事なことを「そうか、これが大事なのだな」と受け取る、ある意味では受動的な勉強であったものが、

やることが限られたこのとき、改めて「何が大事なのだろう」という能動的な問いかけ=自分の勉強に転化していった、ということなのではないでしょうか。

その結果、今まで習ってきた大事なことが、「これさえあれば大丈夫!」と、本当の意味で自分のものとしてつかみ取られ、飛躍的なレベルアップとなったのです。

 

もちろんこうした転化は今までにしっかりと授業を聞き、大事なことを一通り学習したからこそ起こりうることで、このときに初めて味わえる楽しさ、初めて見える景色、というのは、実感した人でなければなかなか伝わりにくいものではあるのですが、さておき、こうした出来事は、やることが絞られたという必然性がなければ生まれないものでしょう。

 

 

とかくネガティブになりがちなこの時期ですが、逆にこの時期にこそあるこの”効用”-時間が潤沢にあると思っていた時には決してできなかった飛躍を遂げるチャンスにできること-とその展望を、後期を終えて、自分の勉強に入っていく生徒の皆さんに、急ぎ伝えておきたいと思います。